【表彰台●回】22歳のF1ドライバーがゼッケン22をつけて戦った結果は?
こんばんは、どもるーんです。
今日5月11日は、角田裕毅の22歳の誕生日ですね。
しかも、角田のゼッケンが22ということもあり、さらに特別感が増した誕生日となりましたね。
Happy 2️⃣2️⃣nd birthday to you, @yukitsunoda07!#F1 pic.twitter.com/bgWqQYyjK7
— Formula 1 (@F1) 2022年5月11日
そこで気になったのが、
「過去にゼッケン22を付けた22歳のF1ドライバーの戦績」
です。
これに当てはまる先人はどれくらいいるのか、
そしてどんな成績を残したのか、
見ておくとこれからの角田の戦いに対する見方も変わってくるでしょう。
ということで、
該当する4人のドライバーを見ていきましょう。
ダニエル・リカルド(2011年)
まずは皆さんお馴染み、シューイお兄さんことダニエル・リカルド。
現在は通算8勝を挙げているトップドライバーのリカルド。デビューチームは何とトロロッソ(現アルファタウリ)ではなく、当時参戦2年目のHRT(ヒスパニア)でした。
※画像引用元:ausmotive.com
第9戦から第19戦まで参戦し、第17戦以外のレースをゼッケン22で走りました(第17戦はドライバー入れ替えの都合でゼッケン23を使用)。しかし、戦闘力の低さゆえ最高位18位と苦戦しました。
成績
年 | ラウンド | グランプリ | 決勝結果 |
2011 | 9 | イギリス | 19位 |
2011 | 10 | ドイツ | 19位 |
2011 | 11 | ハンガリー | 18位 |
2011 | 12 | ベルギー | リタイア |
2011 | 13 | イタリア | 周回不足 |
2011 | 14 | シンガポール | 19位 |
2011 | 15 | 日本 | 22位 |
2011 | 16 | 韓国 | 19位 |
2011 | 18 | アブダビ | リタイア |
2011 | 19 | ブラジル | 20位 |
ルカ・バドエル(1993年)
次にルカ・バドエルです。古のF1ファンの間では「大波乱のヨーロッパGPで泣いた男」「フェラーリ黄金時代影の功労者」として知られていますよね。
バドエルは1993年、ベテランで地元の大先輩、ミケーレ・アルボレートと組んで、ローラ・フェラーリからF1デビューしました。デアゴスティーニの『F1マシンコレクション』にもありましたね。
※画像引用元:deagostini.jp
しかしこれまたリカルド同様、マシンの性能で予選はほぼ下位。アルボレート共々予選落ちを喫することもありました。
それでも、サンマリノGPでキャリアベストの7位に入るなど、14戦中6戦で完走を果たしました。
チームは日本GPを前に撤退してしまいましたが、この7位が最後まで効き、この年のコンストラクターズランキングで最下位を回避しました。
成績
年 | ラウンド | グランプリ | 決勝結果 |
1993 | 1 | 南アフリカ | リタイア |
1993 | 2 | ブラジル | 12位 |
1993 | 3 | ヨーロッパ | (予選落ち) |
1993 | 4 | サンマリノ | 7位 |
1993 | 5 | スペイン | リタイア |
1993 | 6 | モナコ | (予選落ち) |
1993 | 7 | カナダ | 15位 |
1993 | 8 | フランス | リタイア |
1993 | 9 | イギリス | リタイア |
1993 | 10 | ドイツ | リタイア |
1993 | 11 | ハンガリー | リタイア |
1993 | 12 | ベルギー | 13位 |
1993 | 13 | イタリア | 10位 |
1993 | 14 | ポルトガル | 14位 |
アレックス・カフィ(1986年)
続いてアレックス・カフィです。バドエルと同じイタリア人ドライバーで、F1ブーム時代はアロウズ/フットワークで走っており、フットワークのCMにも出演していましたね。
※画像引用元:f1-facts.com
カフィは1986年のイタリアGP、まさに地元レースでオゼッラから出走しました。結果は予選最下位(27位)から11位で決勝完走でした。
成績
年 | ラウンド | グランプリ | 決勝結果 |
1986 | 13 | イタリア | 11位 |
アンドレア・デ・チェザリス(1982年)
最後に、言わずと知れた80年代の壊し屋、アンドレア・デ・チェザリスです。カフィ、アルボレートと同じイタリア人ドライバーで、現在のペイドライバーの先駆けのような存在でした。
様々なチームを渡り歩き206戦に出走しましたが、優勝は1回もありません。また、マシンの信頼性と強引なドライビングが相まって、完走率も3割程度という低さになっています。
画像引用元:devianart.com
チェザリスがゼッケン22をつけて走ったのは1982年のアルファロメオ在籍時です。6戦を走り、F1史上屈指のサバイバルレースとなったモナコGPでは3位を獲得しました。
成績
年 | ラウンド | グランプリ | 決勝結果 |
1982 | 1 | 南アフリカ | 13位 |
1982 | 2 | ブラジル | リタイア |
1982 | 3 | アメリカ西 | リタイア |
1982 | 4 | サンマリノ | リタイア |
1982 | 5 | ベルギー | リタイア |
1982 | 6 | モナコ | 3位 |
まとめ
ここまで4人の成績を見てきました。4人の成績は表彰台1回(3位)、シングルフィニッシュその他1回となりました。
数だけ見ると少ない!というのが正直な感想ですが、
- チェザリス以外は戦闘力に乏しいマシンによる成績である
- ここまで5戦で角田が2回入賞している
ことから、そこまで悲観的になる必要はないでしょう。
というわけで、スペインGPからも無線芸人角田裕毅の戦いぶりに注目です。